山と川のある町 歴史散歩
おわりに
おわりのひとことは、お詫びのひとことになります。
「歴史案内」などと意気まいてみたものの、まったくの不案内でしかなかったことをお詫びするばかりです。
とくに、「十一面さん」「お城山」「平城」などにかかわっての、その時代の「小野寺家の領主」には手を焼いてしまったものです。景道とみるか、輝道とみるかなど、不勉強がたたって、正確さを欠く不始末はごめんしてください(くわしい案内は新しい『横手市史』」〈通史編/原始・古代・中世〉があります)。
この「歴史散歩」は、ぶらぶら歩きはじめ書き始めてから、およそ十年以上はたちます。書きためたものをワープロに打ち、それを読み直しては書き足し、書き直して、やっとまとめにかかりだした2008年7月、とつぜん脳梗塞がもとで右顔面神経マヒにとりつかれ(このあたりでいう“かすられて”しまい、早い入院・治療のおかげで)なんとかもとのからだにもどったものの、それからの仕事のスロー・ぺースには参ったものです。ついつい年を越しての仕上がりになってしまった次第です。
たくさんの方々のご援助をいただき、貴重な資料・また写真などお借りできたことなど、ふかくお礼申しあげます。ありがとうございました。
おわりのおわりになるのですが、原稿用紙がわりのワープロは二台目。一台目はとっくにダメで、今のは小坂良太郎氏から、それこそ十年以上も借りっぱなしです。調子がよすぎるのはワープロだけでなく、借り手もおなじで、こんど返すときは両手をついてお詫びと、お礼をと考えています。厚顔無恥とどやされそうです。持病の糖尿病もあまりよくなく、目の力も弱くなってしまい、助けられたワープロともお別れです。ほんとうに助けられたこと、そのお礼と、お詫びのひとことを申し添えて、ほんとうの終わりにします。
2009年2月 小川笙太郎
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