第六章 (参考)
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昭和9年 | ・離村婦女子一万一一八二人…。 ・この年、東北大凶作。 |
” 10年 | ・女子身売り多発し、防止につとめる。 ・県内各学校長に対し、国体の本義を名徴にすべき旨を通達する。 |
” 11年 | ・二・二六事件おこる。 |
” 12年 | ・盧溝橋事件おこる。 |
” 13年 | ・国家総動員法公布。 |
” 14年 | ・国民徴用令公布。 |
” 15年 | ・太平洋戦争始まる。 |
(「秋田県の歴史」巻末年表より) |
文集「歩み」は、こうした時代を歩んできたのですが、この「歩み」の創刊をつたえてくれているのが、25号の学校長の〈ご挨拶かたがた〉の次の一文です。
…さて、本誌「歩み」が狐々の声を上げましたのは、大正十五年七月で有りまして、本年、丁度創刊以来満十周年です。「這えば立て、立てば歩め」の親心が、うまく実現して、本号は二十五号といふ血気盛りに成長致しました。
学校の状況報告、受持からの希望通信、鑑賞用文集等の欲深い使命の嬰児の「歩み」でしたが・・・
創刊の大正十五年について触れていますが、どのような意図・ねらいがあつてのことだったかについては不明です。この25号の発行された昭和11年頃の「歩み」の発行の意図・狙いについてはさきの一文からも伺
うことが出来ます。第一に「学校の状況報告」、第二に「受持からの希望通信」、第三に、本来の「鑑賞用文集」が狙いであることをいっています。
特色は、一にも二にも「学校側からの報告・希望」をだいじな柱にしているのですが、実際の仕事にあたる編集者たちは、たくさんの作品を掲載すること、多くの子どもの出番をこそ大きな眼目にしていたようです。例えば次の「編集後記」に編集者の願いが明らかです。
* 編集後記
…「歩み」は色々御家庭の事情等を考慮して、三銭切手一枚の値段でつくってゐるのですが、内容も、体裁もこの値段ではギリギリです。どうか、この旨お含みの上、お子さまのよき伴侶としてご利用下されたうございます。
尚、学級の子供一人一回は、必ず卒業までには出るやうにと考へて編輯して居ます。
若し、お子さんの文がのってゐたら保存して子供さんの「小さい記念」として置かれますやう併せてお願いします・・・。(後略)
-柿崎-
「文集一冊三銭」という編集。発行事情の一端がのぞくのですが、(…中略…) また、編集者の次のことばも印象的です。
「……学級の子供一人一回は、必ず卒業までには出るように……」
子どもひとりひとりに寄り添う、教育といういとなみの志の高さを現していることばとして胸にひびくのですが、なにしろ大マンモス校、とうていかなわぬとして、その意気やもって知るべしと言えましょう。
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