山と川のある町 歴史散歩

第六章 (参考)
横手尋常小学校文集「あゆみ」の残したもの

一、横手尋常小学校のこと、文集「あゆみ」のこと

  横手尋常小学校はいまの横手市南小学校の前身校で、ふつう、男子小学校ともいわれました(もうひとつの女子小学校は、もと横手市北小学校の前身校です)。明治・大正・昭和と歴史を刻んできたこの学校の創立は古く、『横手尋常小学校沿革概要』は次のように記しています。

「明治七年(1874)、学制実施ニ基キ、同年二月十九日始メテ小学校ヲ創立セリ 当時寺町西誓寺ヲ借リテ校舎ニ充テ育英学校ト名称ス…児童数三十余名…」

在学児童数ト学級数調べ   初め育英学校、のちに横手小学校ともいわれたようで、明治の初めの頃の学校制度の変遷はめまぐるしく、「沿革概要」によれば、町の学校の合併や分離など数度におよび、そのまま時代の変転を映すかのようです。ここでは、「在学児童数ト学級数調べ」で、大まかに学校の変遷をみておくことにします。

  創立の頃は「女」(女子生徒)の数はみられず、そのあと男女の生徒数の合計が800名(でも女子生徒数はたいへん少なく)であったり、さらに「女子部分離」があったりしたのがわかります。ここにもめまぐ るしくうごく時代の姿を見ることができます。

  昭和三年(1928)の26学級は特出し、ふつう、23~24学級のようです。ということは一学年四学級ということで、一学級の平均児童数はなんと60人を越えます。全校児童数約1,500人、24学級-マンモス学校といえなくもない学校規模であったことがわかります。

  この大規模校に学校文集「歩み」が発行されていたのです。

  発刊は大正十五年(1926)とされるのですが、その創刊号から十八号までは、いまのところ不明のままです。どこかにひっそりと眠っているに違いありません。それに、31号までの発行は確認できるのですが、それ以後のものについても不明です。おそらく発行できなかっただろうと思われます。こうしたことも時代とふかくかかわるのでないかと考えられます。

  現横手市南小学校に、この「歩み」全冊が残され、保存されていないかどうかを、平成15年一月、佐藤民雄校長先生におたずねしたところ、書庫、そのほかをたずねても見つからない旨、ご返事いただきました。なんとも残念なことです。

文集「歩み」の19号~31号までを年度別にしてみると次のようです。
  昭和九年度(1934~)   19号 ☆20号  21号
  同 十年度(1935~)   22号 ☆23号  24号
  同 十一年度(1936~)  25号  26号  29号
  同 十二年度(1937~)  30号 *31号
      ☆印の号は、低・中・高の三分冊。
      *この31号分は土屋昭郎氏所有のものからお借りした。

  (…略…)時代の出来事を並べてみると次のようです。

   昭和六年(1931)満州事変勃発、東北地方冷害・・・、昭和八年(1933)日本、国際連盟を脱退…などに続くのが、

昭和9年 ・離村婦女子一万一一八二人…。
 ・この年、東北大凶作。
” 10年 ・女子身売り多発し、防止につとめる。
 ・県内各学校長に対し、国体の本義を名徴にすべき旨を通達する。
” 11年 ・二・二六事件おこる。
” 12年 ・盧溝橋事件おこる。
” 13年 ・国家総動員法公布。
” 14年 ・国民徴用令公布。
” 15年 ・太平洋戦争始まる。
(「秋田県の歴史」巻末年表より)

  文集「歩み」は、こうした時代を歩んできたのですが、この「歩み」の創刊をつたえてくれているのが、25号の学校長の〈ご挨拶かたがた〉の次の一文です。

…さて、本誌「歩み」が狐々の声を上げましたのは、大正十五年七月で有りまして、本年、丁度創刊以来満十周年です。「這えば立て、立てば歩め」の親心が、うまく実現して、本号は二十五号といふ血気盛りに成長致しました。

  学校の状況報告、受持からの希望通信、鑑賞用文集等の欲深い使命の嬰児の「歩み」でしたが・・・

  創刊の大正十五年について触れていますが、どのような意図・ねらいがあつてのことだったかについては不明です。この25号の発行された昭和11年頃の「歩み」の発行の意図・狙いについてはさきの一文からも伺 うことが出来ます。第一に「学校の状況報告」、第二に「受持からの希望通信」、第三に、本来の「鑑賞用文集」が狙いであることをいっています。

  特色は、一にも二にも「学校側からの報告・希望」をだいじな柱にしているのですが、実際の仕事にあたる編集者たちは、たくさんの作品を掲載すること、多くの子どもの出番をこそ大きな眼目にしていたようです。例えば次の「編集後記」に編集者の願いが明らかです。

* 編集後記

  …「歩み」は色々御家庭の事情等を考慮して、三銭切手一枚の値段でつくってゐるのですが、内容も、体裁もこの値段ではギリギリです。どうか、この旨お含みの上、お子さまのよき伴侶としてご利用下されたうございます。

  尚、学級の子供一人一回は、必ず卒業までには出るやうにと考へて編輯して居ます。

  若し、お子さんの文がのってゐたら保存して子供さんの「小さい記念」として置かれますやう併せてお願いします・・・。(後略)

-柿崎-

  「文集一冊三銭」という編集。発行事情の一端がのぞくのですが、(…中略…) また、編集者の次のことばも印象的です。

  「……学級の子供一人一回は、必ず卒業までには出るように……」

  子どもひとりひとりに寄り添う、教育といういとなみの志の高さを現していることばとして胸にひびくのですが、なにしろ大マンモス校、とうていかなわぬとして、その意気やもって知るべしと言えましょう。


外部リンク

単語検索


ひらがな/カナ:
区別しない
区別する