山と川のある町 歴史散歩

第二章 季節と祭り

(2) ニンニク神さん

  蛍が飛び交う季節であったような気もするのですが、祖母に手をひかれて「にんにく神さん」へお詣りにいつた記憶は確かにあります。「にんにく神さん」は本郷でした(当時は、そう言ってました)から、わたしの住んでいた内町からは川向こうで、浄光寺橋を渡って、上田中・水上・本郷となんとも長い遠い道のりには閉口したことの記憶が強くて、かんじんのお祭りのことは思い出せないままでいます。

  「きゅうり神さん」と同じで、お祭りの日は、「にんにく」をお供えして、かわりに供えられた中の「にんにく」を貰い下げてくる、そうした話は祖母から聞いていたように思います。

  「にんにく神さん」の、その歴史的な背景を知ることの出来たのは、『丸山神社私考』(伊沢慶治・文=横手郷土史/資料32号)〔昭和35年刊〕によります。それまでニンニクについては、薬草の本などで知ることができただけのごく常識的なものでしかなかったのです。

  たとえば『薬草カラー図鑑』などでは次のようです。

  ○ ニンニク  農家の玄関、出入り口付近に数個のニンニクを束ねてつるす風習は、古くからわが国で邪気払いのシンボルとされてきた。(『源氏物語』の〈帚木〉のところに「極熱の草薬」として出てくるが、これは今日のニンニクのこと)。

  中央アジア原産で、古い時代に中国から入ってきたもの。当時、おそらく薬草として栽培…。新しいものは6月頃から出始め、8月中まで収穫がつづく。

  ニンニクについては、こうした程度の理解でした。お隣りの「山内村史」では次のようです。

  ○ 年中行事  〔山里の生活文化〕
十一月  九日は「厄払い」で赤飯を炊き、「疫病神払い」(やめあがみばらい)をし、玄関にニンニクをつるす。

  みじかい記述でしかありませんが、邪気払いの風習が今に残されているのを見ることができます。ふつうは、十二月八日を「病焼き」(やめあやき)の日としているところが多いようですが、ニンニクをつるすのは今ではもう見られなくなってしまったようです。

  さきの「丸山神社私考」は、「にんにく神さん」の歴史を手際よく整理されたといえるもので、少し長い『私考』ですが、手短に要点をあげると次のようです。

  ①「にんにく神さん」は正式には丸山神社である。現在地は、横手市前郷字上在家百四十四番地で、水上でも本郷でもない。

  ②前郷は旧藩時代は独立した前郷村であり、里長(さとおさ=肝煎)は代々島森六左衛門氏であった。

  ③伝承/その一 享保の頃(1716~35)に仙台領から島森家を訪れた一ノ関という相撲取りがいた。島森家は好遇し面倒をみた。その頃、前郷村は水利の便がわるく耕作に困っていた。横手川から水を引くには旭岡山に続く西ケ坂の山裾をくり抜いて洞門を掘らねばならず、距離にして約二百メートル余の大難工事、一ノ関は島森家の好遇に感謝し、工事の先頭にたって働いた。昼なお暗い洞門の中で、精力の減退を恐れて、ニンニクを食いながら工事に突貫したが、不幸にして完成目前に土砂崩れのために死亡。村の人達は、深くその死を悼み、一宇を建立。参詣人は今もってニンニクを供え、霊をなぐさめ、一つを持ち帰り、門口の柱につるし、疫病除として今に伝わっている。

  ④伝承/その二 (異説として)洞門掘削はもっと古く、たまたま享保の頃の大洪水のため洞門は塞がり、流木・土砂を取り除く仕事は誰も逡巡した。それを敢然と引き受けたのが一ノ関。しかし、その工事中、土砂崩れで死亡。

  丸山神社の丸山は、一ノ関の本姓とも伝えられ、また、難工事の洞門の上を丸山と言うことから、とも言われている。

  ⑤丸山神社には相撲の化粧廻しを飾るのが特長。一ノ関の伝承を裏付けている。現在は、一ノ関の化粧廻しは焼失してしまい、平福百穂(画伯)の母堂の奉納したものが飾られている。

  『私考』にみられる、ふたつの伝承は、ともに用水を引く洞門掘削工事と、相撲取り一ノ関の献身が主内容です。また、『新横手沿革史』(中巻)にある〔藩政時代〕の項に(丸山神社縁起〉がありますが、ほぼ同じ 記述内容です。

  しかし、この『私考』と《縁起》のどちらにも、ちょっと気にかかるのが、「丸山神社」の御神体とされる《板碑》(いたび)〔*注①〕についての記述がまったくみられないことです。この《板碑》について、『雪の出羽路』では真澄は目ざとく書き記している〔横手前郷邑〕のなかの次の一文があるのです。

  ○ 丸山といふあり、此処に前郷太郎左衛門尉某の墓誌石(シルシ)ありしが土に埋れしにや見えねば、いづれの世の人ともその年号(トシノナ)を知らじとなむ。

  《丸山》の地名があり、しかもかなり古い時代のものとみられる《前郷太郎左衛門尉某》の墓誌石のあったことを書きとめています。その墓誌石は真澄の目にはふれることは出来なかったようですが、現在、その墓誌石とみていい《板碑》が丸山神社に祀られています。

  (注①) 板碑 いたび 石造りの卒塔婆(そとば)。緑泥片岩(りょくでいへんがん)のような平板石を用い、頂を三角形に作ったものが多い。上部に仏の種子(しゅうじ)または仏像を彫り、下部に掲(げ)・紀年・氏名などを刻む。鎌倉・室町時代、死者追善、生前逆修供養のために建立。特に関東に多く、秩父青石で作ったものを青石塔婆という。     (『広辞苑』)

  《板碑》についてふれているのが、『横手市史』(第六章宗教・第一節 社堂)です。

  ○ 丸山神社(にんにく神さん)

横手市前郷上在家(西ヶ坂)

古い板碑が祭られてあり、伝不詳であるが、約二百年以前、一の堰開さくと関係がある。当時の肝煎島森六左衛門に世話になっていた仙台からきた相撲取某が、一の堰を作る時に本郷の水の汲取口の穴を掘る作業が困難であることを聞き、今までの感謝報恩のため、精力をつける良薬の「にんにく」を食べながら、穴を掘ったという。そして一の堰が完成、その相撲取りを神として祭り、板碑と合祀。健康の神としてお祭りしているという。

  『市史』では限られた説明のなかで、《板碑》を全面に打ち出した記述をとっています。《板碑》への着眼はさすがというべきでしょう。でも『雪の出羽路』での真澄の見聞は捨てられているようです。「一の堰開さくと関係がある」という指摘は、《板碑》への着眼とおなじように歴史へのすぐれた迫り方をとっているのではないでしょうか。

  『市史』の記述でのもうひとつのお手柄は、これまでの伝承での「一ノ関」という相撲取りのシコ名について、ただ、「相撲取り某」とだけにし、「一の堰」と「一ノ関」との混同を退けています。「一の堰」を前面にとりたてているこの指摘はうなづけます。ですが、どうしても伝承にすがり、こだわっているのにはうなずけません。

  丸山神社と「一の堰」との関係について、もう少しふりかえってみようかと思います。真澄の見聞による墓誌石は《板碑》の事のようにみられます。文政の頃(1818~30)すでに風聞でしかなかったわけですが、〔前郷太郎左衛門尉某〕と〔丸山〕とがつよく関係づけられていることを知らされます。このことが〔丸山〕での取水口隧道掘削工事と重なっていることをみなくてはならないでしょう。この〔太郎左衛門〕こそ地方巧者であり、一の堰開削取水の立案者・指導者であったことを示すのではないでしょうか。〔前郷〕は、姓であったとみていいし、あるいは〔前郷村の…〕と理解されてもいいのではないでしょうか。かなり古い時代のものだけに、《板碑》の碑文は風化、摩滅し、またそのためどこかに埋まってしまったったのかも知れません。一の堰取水口開削の指導者は〔太郎左衛門〕で、前郷村あげての大工事であったことを〔丸山〕の地はものがたっている…とみられます。取水口からさらに隧道を掘りすすめる工事は、当時としてはかなりの難工事、横手・平鹿にその例をみません。犠牲者も出たものでしょう。そのなかに相撲取りもいたのでしょうか。

  横手川上流に、洞門(隧道)による取水口開削の成功は、村あげてのよろこびであったからこそ、洞門取水口の真上、〔丸山〕に記念の《板碑》を建立したものに違いありません。しかし、碑文の風化・摩滅がすすみ、あとは伝承がそれを補っていったものでしょう。

  いま、〔丸山〕の地を所有され、丸山神社を管理されておられる高橋家は〔太郎左衛門〕の子孫といわれます。この高橋家に伝わる「手蜘蛛」伝説があります。高橋家では巨大な蜘蛛の手に悩まされたとするのですが、高橋家の先祖が開削工事にいかに多くの人手を求めたことに苦慮したかの言い伝えにこそ、もともとのかたちがあったと理解されましょう。それとニンニクです。もちろん邪気払いそのものであったでしょうし、精力をつけるための村人たちの工夫のひとつであったでしょう。それが「ニンニク地蔵」を祀るもとになったのでしょうから。これらは、〔丸山〕の取水口開削工事のいかに難工事であったかを物語るものばかりです。

  いま、丸山神社の前に立つと、「丸山神社にまつわる由来」の石碑に目が走ります。「この丸山神社は、前郷字上在家百四十四番地に在り、高橋久吉家の内神様で、語り伝えによれば、そのご神体は祖先と言われている丸山(前郷)太郎左衛門尉某の供養碑即ち板碑である……」に始まる碑文です。もう一つ、「隧道改修工事竣工記念碑」(昭和27年)も近くに建っています。そこを少し進むと凹地に出ます。丸山の隧道を抜けた用水路のその出口が見えてきます。そこから用水路が本郷の方に向かって流れたであろう堰跡がつづきます。いまは務めを終えた堰ですが、草が生い茂って昔の水音を聞くことはできません。でも耳をすませば滔々と流れたであろうその水音がいまにも聞こえてきそうに思えてなりません。


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