第二章 季節と祭り(5) ぼんでん二月十七日、雪の日の『ぼんでん』で知られる旭岡山神社(あさひおかじんじゃ)を呼ぶのに、だれもが、「あさひょうが」「あさひょが」と呼んで、いかにも親しげです。地理的にも川をはさんで、向こうは本郷ですから、どうも本郷と呼ばれた古い時代の村の鎮守(守り神)的な存在であったのでないかと考えてしまいます。本郷があり、前郷がつづきます。川に近い本郷から開拓がすすめられ、川ひとつ向こうに旭岡山があって、産土神(うぶすながみ)として祀る信仰上の位置を占めるからです。 * 旭岡山神社 (『秋田大百科事典』より) 坂上田村麻呂(サカノウエノタムラマロ)の伝承は各地にあるようです。しかし、秋田の地に入ったとする史実はないとされます。でも、「山川郷の鎮守として祀った」とされるのは“産土神”そのものとしてであり、“山川郷”の人たちであったと考えるのがとうぜんでしょう。古代、開拓主から成長したとされる清原氏も、この地方の在地神をおろそかには出来なかったでしょうから。 神像二体。横手市、旭岡山神社蔵。県の有形文化財。一体は立烏帽子をかぶり、袍(ほう)を着た座像。高さ七三、六㎝。他は萎烏帽子(なえぼし)をかぶり直垂(ひたたれ)をつけている。高さは六九、三㎝。共に上半身だけで膝以下はない。松材の一本造り。前に出した腕の柄穴が残っているが手先を欠いている。室町時代の作である。この神社は薬師如来をまつる山岳信仰の神社で、室町期のものと思われる十二神将も残っている。 (『同書』〈神将〉の項) 室町時代(1392~1573)は平安・鎌倉につづく古い時代です。このあたりでは、御嶽山に次ぐ古い神社といえます。ですから、古い由緒・宝物を持つうえに、「神木の杉四本(いずれも推定樹齢一000年)は市の天然記念物」とされているほどです。『雪の出羽路』では真澄は、「旭岡に七本杉とて霊木(みやぎ)あり。そは○姥杉(ウバスギ)○御蔭斎杉
(ミカクシノイスギ)○天狗杉○尉杉(ジイスギ)○御解除杉(オハライスギ)○彗杉(ハハキスギ)○燈蓋杉也。…」と七本の杉をあげ、そのひとつひとつをこまやかな観察眼でていねいに書き記しています。 *旭岡神社 鈴木周防社人 旭岡山神社といえば、すぐ“ぼんでん”のことが気になるのですが、ここには何ひとつ書き込まれてはいません。 神社の拝殿には嘉永年間(1848~53)の梵天奉納札が掛けられている。このことから嘉永年間に梵天奉納があったということは、はっきりしているので、それ以前から始められていると考えられる。 拝殿に掛けられてある梵天奉納札を通して、時代とのかかわりをみつめての論究・考察はさすがです。幕末という時代を反映しての“攘夷祈願”のあったことなど、世の片隅とおもわれる横手の町をもゆるがした社会情勢への敏感な対応のあったことなどを知らされます。“ぼんでん”へこめられた時代への鬱屈した思いが伝わってきます。春が近いとい う、冬との決別がからだの中からうずきだしたのだったのかも知れません。 「…一番乗りを争って押し合いもみ合いしながら神社に奉納する。一番乗りで奉納すると、その年の幸運が授かるといわれ、この日に参拝すると、一年間無病息災に過ごせるともいわれる。 (『秋田大百科事典』《梵天祭り》より) 広く秋田県のこの“ぼんでん”そのものとはいえないでしょうが、“ぼんでん”の意味するものはつかめるといえます。 |
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