山と川のある町 歴史散歩

第二章 季節と祭り

(5) ぼんでん

  二月十七日、雪の日の『ぼんでん』で知られる旭岡山神社(あさひおかじんじゃ)を呼ぶのに、だれもが、「あさひょうが」「あさひょが」と呼んで、いかにも親しげです。地理的にも川をはさんで、向こうは本郷ですから、どうも本郷と呼ばれた古い時代の村の鎮守(守り神)的な存在であったのでないかと考えてしまいます。本郷があり、前郷がつづきます。川に近い本郷から開拓がすすめられ、川ひとつ向こうに旭岡山があって、産土神(うぶすながみ)として祀る信仰上の位置を占めるからです。

  * 旭岡山神社

   横手市大沢の旭岡山(標高約200メートル)にある。祭神は天忍穂耳(あめのおしほみみのみこと)ほか五柱。八〇七年(大同二)坂上田村麻呂(758~811)が戦勝を祈願して勧請、平鹿郡山川郷の鎮守としてまつったのに始まる。以来、武将武人の信仰を集めた。清原武則が御堂を建立、のち領主小野寺氏累代が社殿を造営修復した。

  藩政時代には佐竹氏から社領、斎料の寄進があった。心願成就の神、開運授福の神としても一般から崇敬されている。境内社に薬師社、王将稲荷社、三吉社、神門社がある。室町期のものと見られる男神像二体(伝運慶作)は県指定の有形文化財。神木の杉四本(いずれも推定樹齢一、000年)は市の天然記念物である。毎年二月十七日の梵天(ぼんでん)奉納祭は、嘉永年間(1848~54)から始まるものと考えられ、多くの人出でにぎわう。

  (『秋田大百科事典』より)

  坂上田村麻呂(サカノウエノタムラマロ)の伝承は各地にあるようです。しかし、秋田の地に入ったとする史実はないとされます。でも、「山川郷の鎮守として祀った」とされるのは“産土神”そのものとしてであり、“山川郷”の人たちであったと考えるのがとうぜんでしょう。古代、開拓主から成長したとされる清原氏も、この地方の在地神をおろそかには出来なかったでしょうから。

  神像二体。横手市、旭岡山神社蔵。県の有形文化財。一体は立烏帽子をかぶり、袍(ほう)を着た座像。高さ七三、六㎝。他は萎烏帽子(なえぼし)をかぶり直垂(ひたたれ)をつけている。高さは六九、三㎝。共に上半身だけで膝以下はない。松材の一本造り。前に出した腕の柄穴が残っているが手先を欠いている。室町時代の作である。この神社は薬師如来をまつる山岳信仰の神社で、室町期のものと思われる十二神将も残っている。

  (『同書』〈神将〉の項)

  室町時代(1392~1573)は平安・鎌倉につづく古い時代です。このあたりでは、御嶽山に次ぐ古い神社といえます。ですから、古い由緒・宝物を持つうえに、「神木の杉四本(いずれも推定樹齢一000年)は市の天然記念物」とされているほどです。『雪の出羽路』では真澄は、「旭岡に七本杉とて霊木(みやぎ)あり。そは○姥杉(ウバスギ)○御蔭斎杉 (ミカクシノイスギ)○天狗杉○尉杉(ジイスギ)○御解除杉(オハライスギ)○彗杉(ハハキスギ)○燈蓋杉也。…」と七本の杉をあげ、そのひとつひとつをこまやかな観察眼でていねいに書き記しています。

  幕末の嘉永以後に編まれたものとみられる『六郡郷村誌略』には《旭岡神社》は次のように書かれています。

*旭岡神社
  当社明神山上ニアリ 大同二年田村丸建立 神鉢ハ慈覚大師ノ作 古来ヨリ宝剣一振ヲ伝フ 縁記ハ武蔵坊弁慶ノ真蹟ナリ 正保年中神領五石御寄付セラル 末社 薬師堂 本尊 運慶ノ作 十一面観音

  鈴木周防社人

  旭岡山神社といえば、すぐ“ぼんでん”のことが気になるのですが、ここには何ひとつ書き込まれてはいません。

  “ぼんでん”の歴史については、なんといっても一番くわしいのが『旭岡山神社の梵天祭』(大森章・文)〔横手郷土史・資料第52号〕での《旭岡山神社の梵天祭の起源》の項です。

  神社の拝殿には嘉永年間(1848~53)の梵天奉納札が掛けられている。このことから嘉永年間に梵天奉納があったということは、はっきりしているので、それ以前から始められていると考えられる。

  記録には、弘化二年(1845)横手城代戸村十大夫の催しで全町あげて中山で大々的な巻狩を行ったとある。巻狩の中心は火消し(火防組)であったようだ。正月十五日は休み、十六日の夜中から巻狩が始まり十七日の夜中には獲物を持って引上げる。

  火防組は、纏を先頭に装いも勇ましく旭岡山神社に引上げ攘夷祈願して解散したという。この纏を型造ったものでないかといわれている。旭岡山神社の梵天は、秋田の三吉神社やその他の梵天と比較して飾りが綺麗につくられていることなどからそのように思われる。

  また、八軒町(現平和町)の某が紙の梵天を奉納したという。これが火防組の纏を真似たものか、また、祈祷用の幣束を型造ったものかはわからないが、これが現在の梵天の始まりであるといわれているが記録に残っていないのではっきりしない。

  拝殿に掛けられてある梵天奉納札を通して、時代とのかかわりをみつめての論究・考察はさすがです。幕末という時代を反映しての“攘夷祈願”のあったことなど、世の片隅とおもわれる横手の町をもゆるがした社会情勢への敏感な対応のあったことなどを知らされます。“ぼんでん”へこめられた時代への鬱屈した思いが伝わってきます。春が近いとい う、冬との決別がからだの中からうずきだしたのだったのかも知れません。

  「…一番乗りを争って押し合いもみ合いしながら神社に奉納する。一番乗りで奉納すると、その年の幸運が授かるといわれ、この日に参拝すると、一年間無病息災に過ごせるともいわれる。

  木綿の布を下げたサラサぼんでんがほとんどだが、その他、鉋(かんな)がらを付けたカナガラぼんでん、麻糸を重ねて下げた麻糸ぼんでん、稲穂で作った稲ぼんでん、テヌゲ(手ぬぐい)ぼんでん、繭だまを付けた繭ぼんでん、クズの葉を巻いた草ぼんでんなど多様。遠くからも一目につく、大きく作られた御幣の一種で、元来、神霊の依り坐し(よりまし)としての標識であった。また五穀豊饒を祈るものが、現在では多様な祈願を含めた信仰に変わってきている。」

(『秋田大百科事典』《梵天祭り》より)

  広く秋田県のこの“ぼんでん”そのものとはいえないでしょうが、“ぼんでん”の意味するものはつかめるといえます。

  若者たちのジョヤサ、ジョヤサの掛け声は、雪に押しつぶされそうになる北国のくらしの重さを吹き飛ばすかのように見えます。旭岡山の参道を駆け登ると、老杉はたまげて雪を散らし、社殿で揉み合う汗と熱気に、それこそ社殿が湯気をたてているように見えるほどです。旭岡山は“ぼんでん”の山……その“ぼんでん”には雪がにあいます。そして、なんといっても季節はゆっくりと、確実に春を迎えるのです。


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