第六章 (参考) 横手尋常小学校文集「あゆみ」の残したもの
* はじめに
文集は、子どもと教師が生み出す、学校・地域の文化財のひとつといえます。それに時代がふかくかかわるとなれば、その文化財的価値もおのずからといえましょう。
いま、手もとに横手尋常小学校の学校文集「歩み」(昭和9~14年・No.19~31)全冊十七冊があります。この全冊を保存所持されている方が土屋昭郎氏(現湯沢市湯ノ原1-2-36)です。同校入学が昭和9年(1934)、ちょうど文集「歩み」19号が発行された年で、最後の同31号は昭和14年(1939)発行で五年生のときです(昭郎氏と筆者とは一年から六年まで同級生)。土屋昭郎氏が、一年生から五年生までの自分を含めたたくさんのなかまの成長の足跡を、その全冊をひっそりとしかも大事にだいじに保存されてきたことにおどろかされます。もうおひとり、市内羽黒町・柿崎了氏(故柿崎かくじ先生のご子息)からも、全冊に近い十六冊をお借りすることができました。文集編集者のおひとりでもあったかくじ先生が、ていねいに合本され、いかにも愛し子を慈しむかのよう、ていねいに保存されていたことを知らされます。31号の一冊が欠けているのはどうしてなのか不明のままですが。
まず、柿崎了氏からNo.19~30号をお借りしてコピーをとり、欠けているNo.31号は土屋昭郎氏からコピーしたものを送ってもらいました。学校・地域の文化財がたいせつに保存されていることはうれしいことです。なお、文集「歩み」創刊のことなどは次の項で触れます。
さて、この一文では、文集のよしあし、編集のよしあしといったことを述べようとするものではありません。学校・地域の文化財としての子どもたちの詩や綴方(作文)などを少していねいに読んでみようということが主たる内容となります。それと、文集「歩み」の発行された昭和初頭の時代とふかくかかわることもだいじにみていきたいことです。子どもの作品といえど時代の産物といえますから。
時代とふかくかかわるという一例に、たとえば次のような作品があげられます。正確には綴方とはいえないのかも知れませんが、文集「歩み」28号(昭和12年12月27曰発行)に掲載された作品です。
えんどうせんせい 二青 後藤慶助
ぼくは、えんどうせんせいのおはなしをきく時、なみだが出ました。きやうしつにはいる時、はらがどきどきしました。そうして、えんどうせんせいがしなないでくれればよいと思いました。
これは、『祝応召征途・祈武運長久 遠藤訓導』の特集号を飾る学年代表のなかの一編で、ふつう、書かされた綴方・行事作文といわるもののなかのひとつです。一年から六年までのそれぞれの代表は、遠藤先生を送る式のこと、駅での見送りのことなど、この号の特集にふさわしい文を書いています。
この遠藤先生の出征ということはもちろん時代とかかわることで、子どもたちはそれぞれ勇ましいことばを選んで、出征を祝い、武運長久を祈るという文がふつうですが、ここに引用した〈えんどうせんせい〉の文はちょっと違います。勇ましさを勇ましさとして受け止めてはいても、からだのふかいところで「なみだか出ました」と、ひとりの人間の心に響いたこととして受け止めていることです。それに、「はらがどきどきしました」というのも、胸のふるえをからだ全体で感じ取っているからといえましょう。圧巻は、「しなないでくれればよいと思いました」!人間であることのそのふかさから発したぎりぎりのことばの噴出。そのための「なみだ」であり、「どきどき」であったことがわかります。自分のことばで書く、とはこういうことでしょう。短いが故に、まるで一編の詩のような感じがしないでもありません。
書かされていながら、じつは確かに書き切っている例といえましょう。
このように、子どもの作品のなかに時代をみることが出来るとともに、時代を貫徹するともいえる、ふかい真実のことばを知らされるのです。時代の変動のなかにあっても、人間人間しい子どものことばにおどろかされるのです。(中略)
文集からの引用作品は原文のままとしました。当時の表記そのままです。それに一年生は、カタカナがひらがな学習に先行した時代です。また、漢字も当時のままとしました。
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