第四章 地名めぐり・町名めぐり(5) いかり(碇)朝倉地区は、古代の横手盆地開発の発祥を伝えます。御嶽山への上り口「一の坂」や、「長者森」、「糠塚」など古い地名があちこちに見られます。そうした地名のなかで、そのイミのはっきりしない不思議な地 名もあります。まず、「いかり」でしょうか。朝倉小学校のある「碇八幡田」、また、「碇大橋」などの「いかり」です。なんとも不思議な地名だと思ってきたものです。次の図は、「碇」を示す「横手町全図」(明治43年刊)からで、かなり古いものです。 県道角間川街道沿いに「字碇」、横手川をまたぐ「碇大橋」が見えます。すこし上流に「関根橋」が見えていますが、いまはありません。下流には「大鳥居山」が、すぐ近くです。 横手川の舟運が本格的に開かれたのは慶長年間からと言われているが、江戸初期の頃までは水量も豊富で、水深もあり、記録としては胴船(百五拾から弐百俵積)が関根郷まで遡上したと言う。 (『横手川の舟運一考察』小川誠三=横手郷土資料81号) でも、「いかり」が舟運に関係あるとすれば、それは「錨(いかり)」ということになります。カネ偏が正しい字ということになるでしょう。イシ偏の「いかり」はどうも気になるというものです。碇大橋をわたって少し行くと鉄道の踏み切りにぶつかります。そこはもう石町です。この石町も気になってくるのです。鉄道に沿う広い畑の真ん中に、掘り出せなかったといわれるほどの大きな石がでんとあるのです。石町の由来となった石です。このイシは、イシ偏の「碇」と関係があるのでしょうか。 ●イカ こうなると、なるほどとうなづかされるではありませんか。 ●イカリ 「イカ」「イカリ」は、ともに土地の自然条件を指し示したものだったことがわかります。朝倉地区の「碇」も、「うしろに山を負う土地」「洪水のおこりやすい平地」です。北上した横手川が大鳥居山にぶつかり、洪水では、その濁流が対岸を越えてハンラン…大きな岩石なども流れたに違いありません。「石町」の石は、そうした石だったものでしょう。 いかり【碇・錨】(海中の石の意の古語イクリと同源か) 天下の大辞典も、どうも歯切れのよくない説明です。ただ、古語「イクリ」を引いています。イカリとイクリのことばの形、その音は似ています。でも海の遠い、ここら盆地では、古語の解明も容易ではありません。お手あげです。 新橋の蛍火(本名/碇大橋) 蛍の飛びかった碇大橋が目にうかぶようです。かつては、土地の自然条件のよくなかった「イカリ」でしたが、水害などから身を守ったはずなのに、逆に蛍からは見放されてしまったかにみえる現代です。碇も碇大橋も、もうひとつ新しく夢をみなくてはならないのかも知れません。 |
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